大阪高等裁判所 昭和46年(う)356号 決定 1971年12月23日
抗告人 水田清一(仮名) 外一名
相手方 水田薫(仮名)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告人らの抗告の趣旨および理由は別紙のとおりである。
当裁判所の判断
本件記録によると、抗告人らが相手方水田薫、その妻さち子と養子縁組した前後の経緯は原審判の認定したとおりであり、抗告人らの養父水田薫は昭和二四年初頃事業に失敗し、居宅を売り払つて前から関係のあつた女性の許で同棲するに至つたので、抗告人らは養母さち子と三人で別に大阪市内で同居して生活するの止むなきに至つたこと、かくして抗告人らは養父水田薫とは僅々一年前後の期間同居していたに過ぎず、爾来二〇年以上音信不通で経過したが、その間、水田薫は昭和三五年一一月一一日さち子と協議離婚の届出をし、同月二五日小山よしのと婚姻し、同日右よしのとその先夫との間の子正夫と養子縁組をして今日に至つたこと、現在水田薫は老齢且つ病身であり、妻よしのも働いて生活費を稼ぐことも困難で、生活は困第し、扶養を必要とする実情にあることが認められる。而して法定の扶養義務者は養子である抗告人らと正夫の三名である。
ところで、抗告人らは、養父水田薫は養母さち子に無断で協議離婚の届出をしたものであるというが、その真偽を断定できる資料はないけれども、夫婦関係の破綻は前記のとおり、その責任の大半は水田薫の負うべきものと認められ、さち子の実弟である抗告人公夫としては、水田薫の仕打ちに対し憎悪の感情を抱いており、且つ前記のとおり抗告人らは養父と二〇年以上も音信不通に過ごし、養親子関係は単に戸籍上のことだけで、その実体は既に失なわれており、養親子としての親近感は相互に全く存しないので、今更抗告人らに扶養義務を負わすことは実情に添わないと考えられないでもない。一方正夫は養父水田薫の後妻の実子であつて養親子関係の実体が経続しているのであるから、扶養義務者として正夫を定めるのを相当とするであろう。
しかし、記録によれば、正夫は扶養料として月七、〇〇〇円を供与しているが、その程度では水田薫の生活を支えるに足らず、正夫の収入、資力をもつてしては右金額の程度が精一つぱいで、それ以上給与を増額することは無理であることが認められる。而してこの場合生活保護法等による公的扶助を受けることを考えてみるに、同法の扶助が私的扶助の補充性の立て前をとつていることから、他に扶養義務者がある場合には私的扶助が優先することになる。抗告人らと養親水田薫との関係が前記のとおりであるとしても、抗告人らは法律上扶養義務者であり、扶養能力のある限り扶養義務を免れることはできない。そして、抗告人らの収入、資力は正夫以上であることは記録に顕われた資料により明らかであるから、抗告人らの心情は兎も角として、正夫と共に扶養の義務を果さなければならない。
以上のような理由で、原審判が諸般の事実を斟酌して抗告人らにそれぞれ月額四、〇〇〇円宛の扶養料の支払を命じたのは結局相当と思料するから、本件抗告を棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 三上修 裁判官 長瀬清澄 岡部重信)